そのゲームの名は「駅メモ」という
私はかつてスマホゲームの類にはハマらない人間であった。
昔テレビのCMでバンバン宣伝してるようなゲームをダウンロードしてみたが1ヶ月もしないうちにやめてしまった。
元々そんなにゲームが好きな人間でもないし、基本的に単調な工程が多いスマホゲームはすぐに飽きてしまう。
レベル上げるのに単純な作業を繰り返したり、
強いキャラ出すためにガチャ引いたり、
ガチャ引くのに課金したり、
キャラを強くするアイテムを手に入れるためにガチャ引いたり、
ガチャ引くのに課金したり、
毎日欠かさずログインしたり、
ログインしては課金をして、
一度課金をしてしまったら最後、
もう引き返すことの出来ない道への第一歩、
そして課金ユーザー達との終わることのない殺し合い、
無限に広がる殺戮の荒野、
その荒野での殺し合いを制するために強いアイテム・キャラを手に入れるためまたさらなる課金、
課金地獄、
自らのプライベートから私財を投じて嬉々として茨の道を突き進む、
それがスマホゲーム。
恐ろしい。
基本、ゲームのアイテムとか実生活で全く役に立たないし、手元にも残らないものにお金を払うって感覚が理解出来なかった。
しかもお金払ったって欲しいものが手に入るかわからないなんてとてもナンセンス。
お金の使い道ってもっとたくさんあるでしょ、って思う。
そんなスマホゲームには死ぬほど懐疑的で、課金なんてする人の気持ちがわからないと豪語していた私が、最近課金するほどハマっているゲームがある。
それが「駅メモ」だ。
正式名称は、
というタイトルの中に2回もエクスクラメーションマークの入るイカしたネーミングのゲーム。
ゲームの内容は公式ホームページをご参照ください。
このゲーム、とても簡単に言うと電車に乗って、ボタンを押すと位置情報を使って最寄りの駅にアクセスして、その駅の数だったり、路線の数を増やしてポイントを稼ぐだけ。ただそれだけ。
私は電オタではないので電車に関する知識はほとんどない。通勤で電車に乗るくらいしか今までしてこなかった。
そんな私が休みの日には乗ったことのない路線を求めて遠出し、1日にアクセス出来る回数を増やすために課金をし、来る日も来る日も「駅メモ」にログインしている。
最近では仕事で遠出することがあるとワクワクする、「駅メモ」をしながら移動も出来るし、お給料だってもらえる。遠方に行く用事を自ら創出してる節すらある。
今までハマらなかったスマホゲームにどうしてここまでハマってしまったのだろうか?
新しい駅にアクセスし、アクセスした駅、路線が増えていく様子は私の収集癖をいたずらにくすぐる。
「駅メモ」では今までアクセスした駅の数や、路線、都道府県を確認出来る。
この数字が増えていくのがある種の快感なのだ。
しかし、この数字は私の実生活では全く役にたたない。完全なる自己満足。
もう一つ、「駅メモ」では駅にアクセスする時に陣取りゲームのように駅の争奪戦が繰り広げられる。
その争奪戦は「でんこ」と呼ばれるキャラクターの強さで決まる。多くの駅にアクセスすれば「でんこ」は強化され有利になる。
「でんこ」には攻撃力が高い「でんこ」や、防御力が高い「でんこ」、他の「でんこ」をサポートする「でんこ」と色々と個性がある。複数の「でんこ」を自分なりの組み合わせでパーティーを組み、駅の争奪戦に挑むことになる。
そしてこの「でんこ」はゲーム内のガチャでしか手に入らない。
もちろん課金しなくてもガチャはひける。
ただそれには何日も何日もログインし続けなければならない。何十日もログインしてやっと一回ガチャが引けるようなレベルである。
私は沢山の優れた「でんこ」をすぐさま欲しかった。私の収集癖に火が付いた。
優れた「でんこ」を獲得し、育成し、思いつく限りの最高のパーティーを組みたかった。最高のパーティーで駅の争奪戦を勝ち抜きたい。
駅の争奪戦を勝ち抜き、たくさんのポイントを獲得し、手持ちの「でんこ」が強くなる、そして強くなった「でんこ」で駅の争奪戦を勝ち抜く、というポジティブなスパイラルに突入するにはどうしても課金が必要なのだ。
私は今、「でんこ」を強くするために、駅の争奪戦を勝ち抜くために、課金をしている。
しかし、私の「でんこ」が強くなり、駅の争奪戦を勝ち抜くことが出来ても実生活ではなんの役にも立たない。
わかっている、「駅メモ」にいくら課金しても私の実生活は豊かになんてならない。
この日記の最初に書いたように、私はスマホゲームの行き着く先をわかっているのだ。
ただ、わかっているのにやめられない。
ダメだってわかっているのに課金をしている自分がいる。
私は34歳を目前にして、スマホゲームの課金地獄にハマっている。
そんな現状が最高に痛々しくて、やるせなくて、嬉々として茨の道を突き進んでる自分が、逆になんかもう最高に清々しくて、愛おしくて、最高に幸せなのです。
強硬派として知られたい
私はいよいよ強硬派として知られる存在になりたい。
比較的ガチで。
ガチで強硬派として知られた存在でありたい。
武千代さんね、あの強硬派の、くらいみんなの共通認識であってほしい。
だいたいニュースで強硬派って出ると強硬派として知られている誰々氏、みたいなスタンスで紹介される。
その誰々氏になりたい。
知られたい、私が強硬派だということを知られたい。
強硬派として広く知られた存在になりたい。
それが今回の主題だ。
強硬派っていうものがよくわからないので色々調べてみたけど、21世紀の人智の神Googleでも僕が納得いく答えは出なかった。
wikipediaでも同じだ。
右翼とも違うし、タカ派とも違う。
なんなら左翼の中にも強硬派がいるらしい。
もうわけがわからない。
強硬派って右寄りなんじゃないの。知らないけど。
よくわからないけど強硬派でありたい。私は常に自分にとっての強硬派。強硬派マイセルフ。
でも強硬派がよくわからない。
雰囲気強硬派。私は雰囲気強硬派である。
もはや強硬派でいたいだけなので、何に対して強硬派であるかは私自身わからない。
とにかく強硬派なのだ、私は。
強硬派として周囲から認めてもらえるだめにはどうすればいいのか。
常に強硬手段にでればいいのか。判断に迷ったら強硬案を選べばいいのか。死ぬか生きるか、0か100か。
強硬手段に出るんだ。強硬案を提案するんだ。
こうなったら強硬手段だ、って独り言を言いながら仕事するんだ。強硬路線を支持するんだ。
トランプ政権の新補佐官ボルトン デスクに手投げ弾を置く超タカ派 | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
私のデスクにも手榴弾置くしかない。やるしかない。やだ、怖い。
冷静と情熱のあいだから墓場まで
私は仕事に対してあまり、というか全然興味がないので仕事観とか、仕事に対する姿勢とかを上司と話してると嘘に嘘を重ねて最終的に逆に意識高い系になってしまうことがある。
ただ、上司と仕事の話をする時というのは自分自身の仕事が上手くいってない時、色々トラブルが起きてる時が多い。
トラブルが起きて上司と仕事観の話をしてるのに無駄に意識高い系の社員とかウザいと思うんですよね、単純に。いや、意識高いならトラブル回避しろよって。私が上司なら思う、その意識の高さ使い所間違ってるぜ、って。
ここ数日、仕事で色々とトラブって、もう私の出番がないくらいになってて、上司の上司も出てくるわいよいよ大ごとだなぁなんて思っていたんです。
そこで元凶である私と上司の上司が面談したりするわけなんですが、一事が万事こんな感じなんで逆に意識高い系な感じな返事しちゃったりしてもう自分のポジション見失ってる感じで。
お客様アングリーだよ、ソーマッチモアアングリーだよ、みたいにな横文字使っちゃいそうになる始末。
ソーマッチモアアングリーとか言ったら個人的にはすげー面白いんだけど言えないジレンマ。
本当の自分を隠しながら生きているフラストレーション。高まりますよね。
結局、サラリーマンである私は面白味あるより、仕事が出来る方を大事にする社会には馴染まないといけないんだけど。フラストレーションが凄い。もはや無理。面白くないのに頑張れない。面白いことが正義。
面白い毎日を送れるように、怒られない程度に仕事する。これこそ真理。私の目指すところ。
もうそれでいい。私はそれでいいと思う。
意識が高い系は任せた、君に任せた。ふんだんにリスケしてもらって構わない。お客様にアグリーしてもらえるように頑張ってもらいたい。
狂乱の宴
月曜夜から翌日未明にかけて繰り広げられた宴。
それをこの度「狂乱の宴」と定義したい。
私の仕事は平日、火曜、水曜休みなので世の中が1週間のスタートを切る月曜が我々の業界にとっての花金。
そして我々の業界の人達はおしなべて酒が好きで、飲み始めると長くなりがちだし、多かれ少なかれ頭がおかしい。
そんなメンバーと1週間で1番テンションが上がっている月曜日に飲みに行って無事で帰れるわけがない。
スタートから不安だった。月曜の昼過ぎに後輩2人から別々に飲みの誘いが来た。
2人とも昼間からすでにテンションが高く、
「仕事終わらないから遅くからしか行けない」
とやんわり断っても、
「何時でも待ってます」
と明らかに気迫が違う返事。
どっちかを断るのもめんどくさかったのでみんな一緒に飲むことにした。これがそもそもの間違いだった。
休み前でテンションが上がりきっている2人を合流させたら単純に攻撃力が2倍になる。
しかも後輩達は酒が絡むと一般人を遥かに上回るポテンシャルを発揮するので2倍で済むはずはなく、3倍、いや5倍くらいの攻撃力になってしまっていた。
さらに悪い事に飲み行く先々で知り合いが飲んでいてそこに合流する羽目に。
2人で5倍の攻撃力が人が増える度にさらに高まっていく。不思議な事に彼らは夜が更けていくにつれて攻撃力がどんどん上がっていき、宴は2軒目から3軒目、3軒目から4軒目と続き、人も入れ替わり立ち替わり、もう誰と最初飲んでたのかもわからない状態。
5軒目あたりで私の眠気もピークになりコソコソと帰宅。
狂乱の宴終了。
帰って時計を見ると午前4時。他のメンバーは圧倒的なテンションでまだ飲み続けている様子でした。
翌日、久しぶりに激しい二日酔いに襲われ、電車の揺れでもリバースしそうな状態のまま昼頃から休日出勤。ホントしんどかったです。
今月は期末のため飲み会が増えますが、
「嗜む程度にお酒を飲む」
を肝に銘じて乗り切りたいと思います。
福岡旅行
今年は序盤から飛ばしまくっている。正直、自分でも不安なくらいの勢いで飛ばしている。
1月に2回北海道に旅し、今月は福岡に旅をした。
北から南にやりたい放題。
もはや私にとって生活の一部として旅があり、旅は生活の一部と言っても過言ではない。
むしろ私の生活の全てが旅ではないか?と最近では思い至り、私は旅人であるとすら感じている。きっと私の前世は旅芸人だったろうし、吟遊詩人ならなお嬉しいし、高等遊民であれば最高。
私の人生は旅、私は人生の旅人、比喩的な意味ではなく旅、旅それはすなわち、旅だと悟った。
【2018年3月6日〜7日:福岡旅行】
今回の旅は職場のメンバーで福岡へ。
私は旅の幹事としてレンタカーやホテルの手配、宴会のお店のリサーチ・予約から、昼間のアクティビティはもちろん、夜のアクティビティに至るまで手配をして完璧な幹事ぶりで当日を迎えました。
早朝5時 、羽田空港行きのバスに乗り込み朝から景気良く缶ビールを2缶。プレミアムな休日のスタート。
今回の旅の幹事である私は、この旅の工程がレンタカーでの移動に依存するものである事を誰よりも知っている。それを承知で飲酒する私。背徳感がたまらない。背徳感のおかげかいつもよりビールが美味い。羽田空港に着いた6時半頃にはすでにほろ酔い。
車移動前提の旅行で集合前から飲酒するということはある意味でその他メンバーへの宣戦布告。
「俺はこの日一切運転というジャンルでは戦力にならないぞ!」
「運転手というしがらみに縛られず無邪気に旅を満喫するぞ!」
ということを高らかに宣言している状態。
実際、集合場所に缶ビール片手に乗り込んだ私を見るメンバーの目には「殺意」のようなものが浮かんでいました。特に店長の殺意は凄かった。身体180cmを超える屈強な男の圧倒的な殺意。小動物なら死んでた。
そこからも攻撃の手を緩めることなく、空港でさらに2缶ビールをいただきしたたかに酔っ払う私。よく店長に殺されなかったな。
いい具合に酔いがまわってきたまま搭乗。席に座った途端眠りに落ち、目が覚めたらもう福岡。早い、圧倒的に早い。移動時間が消えた。
福岡に着いてからはレンタカーを借り、柳川というところで川下りをし、うなぎを食べ、さらにビールをいただき、光の道で有名な宮地嶽神社にお参りし、中洲にあるホテルにチェックインして、夜の宴会で美味しい水炊きをいただき、夜21時に初日のオフィシャルなスケジュールは終了。
ここから先、翌朝の集合時間までは自由行動。
福岡の夜の幕開けだ。
私の中で福岡の女性は美人が多いというイメージが昔からあり、旅行前、職場の同僚にその話をしたところ彼もまた共通の見解であった。飲みたい、福岡美人とお酒を酌み交わしたい。他県の女性ではダメだ、福岡だ。同僚と私は固く握手をした。
よって我々(同僚と私)は、今回の福岡旅行における夜の自由行動のテーマを
「福岡美女とお酒を飲む」
とし、現代最強の知将Googleによる入念なリサーチ、パッションほとばしる作戦会議を行い福岡に臨みました。
作戦会議では、どうせ福岡美人と飲むならプロではなく素人が良い、予算の都合もあるのであまり高額なお店は難しい、男ならワンチャン狙わなくてどうする、福岡美人の博多弁で弄ばれたい等、現実的でありながら自由かつ奔放、30歳を過ぎた男性2人の欲望丸出しで聞くに耐えないディスカッションを繰り広げ、最終的に天神界隈に複数の店舗がある相席ラウンジに行くことに決定。
昨年、相席ラウンジでほとんど結果の出せなかった私はその悪夢を払拭するべく、
「昨年の借りは今夜必ず返すぜ!」
と気合いを入れて突入しました。
その夜、我々は
相席ラウンジ→クラブ→相席ラウンジ
と戦況を悪化させながら転戦を繰り返し、夜中の2時過ぎに同僚が完全に眠気に負け戦意を喪失し戦線を離脱。何も結果を残せないまま2人で「福岡ポツダム宣言」を宣言し、泣きながらホテルまで戻りました。
帰り道、同僚がずっと
「勝負に勝ったが、試合に負けた」
とわめいていて、この結果のどのあたりで「勝負に勝った」ポイントを見出したかが私にはわからなかった。
翌朝、改めて問いただすと「酔っ払っていてその発言自体覚えてない」そうで真相は闇に消えた。
翌日は呼子にイカ食べに行き、波戸岬で牡蠣を食べ、お土産を買って飛行機に乗って帰りました。
福岡の夜が不完全燃焼だった以外は概ね楽しい旅行でした。ただ、昨年のリベンジが出来なかったこと、福岡にも借りが出来てしまったので今年中に必ずリベンジしてやると強く誓い、次の旅行先を探し始めた私なのでした。
10件のブログを書き終えて
先日書いた日記でやっと10件。
10件目を書いてる途中から仕事が忙しくなったり、心が荒み毎夜飲み歩いていたらなかなか書き終わらず、1週間くらいかかってしまった。1週間かけたクオリティとは思えない。
記念すべき11件目はやはりthe brilliant greenについて書くしかないなとは思っています。
毎日したたかに酔っ払って家路についてるわけですが、帰りの電車で何の音楽を聴いて帰ろうかと思案していると、ふと思い出すあのメロディー。
the brilliant greenの「長いため息のように」。
私にとってthe brilliant greenと言えば「長いため息のように」。超名曲。
the brilliant greenには名曲が多いですが、この曲が個人的には1番。長いため息出ちゃう、明日も仕事だと思うと出ちゃう、ため息しか出ない。
こんなに毎日酔っ払って、なんなら先日は普通に寝坊したけど運良く上司が朝から出かけてたから事なきを得た私が今日もしたたかに酔っ払ったら明日はもう仕事行けないと思うんです。
明日、朝起きたらもう大遅刻で朝から上司に「I'M SO SORRY BABY」って電話して、急いで準備をして「そのスピードで」出勤したら、上司から「goodbye and good luck」とクビ宣告され、私の心は「Forever to me 〜終わりなき悲しみ〜」に包まれまるで「冷たい花」のよう。
その後「There will be love there 〜愛のある場所〜」(転職先)を探すため活動するもなかなか結果が出ずに再び私の心は「Forever to me 〜終わりなき悲しみ〜」に包まれ、まるで「冷たい花」のよう。
しかし「Rainy days never stays」。努力は身を結び、「There will be love there 〜愛のある場所〜」(転職先)を見つけ「Hello Another Way -それぞれの場所-」へと旅立つ私。
そして新しい職場で仕事に戸惑っている私に「CALL MY NAME」して優しく仕事を教えてくれた20代中盤の吉岡里帆似の女性と恋に落ち、めでたく結婚。「愛の♡愛の星」。大団円。
こんな中身のない日記にまた3日もかけてしまいました。
クオリティも低くて、スピード感もない私の日記ですがどうぞ今後ともよろしくお願いいたします。
「森見登美彦」作品の腐れ大学生への永遠のシンパシー
「森見登美彦」という作家さんの作品が好きだ。
大学生の終わり頃からもう10年以上ファンで、新刊が出れば欠かさず買っている。
森見登美彦氏の「太陽の塔」という作品がある。腐れ大学生である主人公が、自分をフった女性の周りをストーキングし、クリスマスファシズムに反旗を翻しながら物語は進んでいく。エモい。とてもエモーショナル。
毎年クリスマスが近づき、クリスマスファシズムに傷つき、サンタ狩りを計画するたびにこの作品を思い出して読んでいる。しかもクリスマスシーズンの間に2、3回は読むので、この10年でかれこれもう30回以上私はこの作品を読んでいる。異常な回数だ。
作中、3人の友人が登場し、それぞれ個性的な腐れ大学生っぷりを存分に発揮して物語に華を添えている。
腐れ大学生4人が非モテをこじらせて悶々としながらも、独自の世界観を突き詰めていく様は大学時代、彼らと同じように非モテをこじらせて腐れ大学生として生きていた自分と重なり、シンパシーを感じてしまう。
そして不思議なことに歳を取って大学時代が遠い記憶になればなるほど彼らへのシンパシーは強くなる。33歳のおっさんが非モテの腐れ大学生に未だにシンパシーを感じる異常事態。
彼らの基本行動である男女交際に対しての妬みや嫉み、非モテ男子と団結してくだらないことに情熱を燃やしたり、イベントの度に浮足立つカップルへの侮蔑、世の中の女性が自分に振り向かないのは世間がまだ自分に追いついてないだけみたいな闇雲な自信とか、学生時代の私そのものだし、未だに引きずってこの歳まで生きている。
むしろこの10年でさらにこじらせてもっと深い闇の部分に落ちている。妬み嫉みの権化である。「腐れ大学生」から社会人として立派な大人になるはずが、「腐れ社会人」にクラスチェンジしてしまった。どこで道を間違えてしまったのか。
学生時代に非モテで、スクールカーストの底辺とはいかなくても上位のウェーイ勢とは絶対仲良くなれないし、趣味は基本的にインドアでオタク気質、人見知りだけど仲間内では意外とよく喋るみたいななんかちょっと癖のある人にはオススメの小説です。
逆に学生時代がバラ色で、スクールカーストの頂点にいて、スポーツ万能で、友達100人いるし、休日は地元の仲間とBBQだぜマジ地元最高ウェーイみたいな人には全く刺さらないし、何が面白いの?ってなること間違いなし。私の視界に入らないで、眩しいから。
まだ先の話ですがきっと今年のクリスマスシーズンに私はこの小説を読むのでしょう。小説の中の彼らは永遠に腐れ大学生で、本を開けば私を待っていてくれる。幸せなクリスマスになりそうです。