その男、武千代

38歳、モッズ系2児の父。

「フットサル」と言う名の無理ゲー

先日、会社の同僚とフットサルに参加した。

 

今まで何度かフットサルには参加しているが、いつも思うことがある。

 

フットサルは無理ゲーだ。

 

 

まず、ゴールが小さい。

みんなよくあんなとこにシュート決めれるなと思う。

キーパーがいたら隙間なんてほとんどない。

そこにさらにディフェンスの人もいる。

シュートコースなんて無い。

無理ゲーだ。

 

 

次にコートが小さい。

小さいコートに大の大人が10人くらいワラワラしてる。

ドリブルだってすぐ取られるし、パスコースだってほとんどない。

無理ゲーだ。

 

 

あと私が参加するフットサルのメンバーだけなのかも知れないが、休憩もしないでずっと試合してる。

この前なんか2時間近く走りっぱなし。

しかもだいたいダッシュで。

そんな体力どこにあるんだ、みんな。

無理ゲーだ。

 

 

他にも上手い人のミドルシュート良く入るとか、経験者の当たりが強いとか、ふかすパス出しがちとか色々あるけどとにかくどれもこれも無理ゲー。

 

 

あと、筋肉痛が翌日じゃなくて、満を持して翌々日にくるとかマジ辛い。

 

それは私が歳なだけか。

披露宴の「ステージサイド席」

これもまた6月のことですが、会社の後輩の披露宴に出席しました。

 

 

確か後輩は26歳。奥さんも同級生だったと思うのできっと26歳。若いな、おい。

 

三十路も中盤戦の私がウダウダしてる間に、若い人たちがその横を猛スピードで追い抜いていく。すごいね、その決断力。私には真似出来ないわ。

 

 

披露宴当日の朝、最寄駅で同僚と待ち合わせ、カフェでビールを何杯か飲んで、ほろ酔いで会場のホテルへ向かいます。朝から飲むビールは何故あんなにも美味しいのか。

 

もはや披露宴に参加することについてはベテランである我々は、御祝儀袋も、筆ペンもホテル近くのコンビニで調達。我々クラスになると「事前に用意をする」ということがなくなります。基本、現地調達。そのうちネクタイも、最後にはスーツまでも現地調達する日が来るかもしれない。

 

そしてホテルのロビーでお金を入れて、記名して、ネクタイ締めて受付へ。

 

受付で御祝儀袋を渡すといつものように披露宴の座席表を渡され、受け取る私。

 

 

今回は職場の先輩枠での招待だから前の方なんだろうなんだろう、と思いながら座席表を開くと案の定前の方。

 

新郎新婦席の真正面、アリーナ最前列が職場の偉い人の席で、その隣が我々偉くはない先輩席。ライブ会場なら偉い人の席がボーカルの前で、我々はギターかベースの人の前。

 

 

会場に入って席に着いてわかったんですが、この席、新郎新婦の席に対して角度が狭いんです。サッカー的に言うと、角度がない。

 

なんかこう、ライブの機材の設営が終わって、なんだここまだお客入れられるじゃん、って感じで作られたステージサイド席のよう。

 

チケット買うときに注意書きで、

「ステージサイド席は演出が見えづらいお席となります。予めご了承ください。」

って書いてある席。

 

言っちゃうともうほとんど、

真横

の席で。

 

 

新郎新婦が入場して、新郎が来賓の方々に向けて挨拶してるんですが、新郎が全然見えない。

 

新郎新婦席の横に置いてあるケーキカット用のケーキが新郎にモロ被りしてる状態。

 

 

私の角度から見ると、

「新郎:ケーキ、新婦:人間」

という披露宴のベテランである私も初めて見る構図。

 

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後輩である新郎がケーキに変わっている。

 

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ケーキに椅子を用意する係員の人。

彼にとっても初めての経験ではないでしょうか。

 

 

披露宴の演出は見えづらかったですが、同じテーブルの同僚とずっとこのケーキネタで盛り上がって結構楽しかったです。

吉井和哉様のライブ行った話

あれはもう6月のことですが、吉井和哉様のソロツアー「Kazuya Yoshii 15th Anniversary Tour 2018 -Let’s Go Oh! Honey-」に参戦いたしました。

 

 

東京公演の会場は東京国際フォーラム

 

 

思えば、私が初めて吉井和哉様のライブに参戦したのも東京国際フォーラム、「Flower & Powerlight Tour 2011」のことでした。私の初体験を捧げた場所で、再び吉井和哉様との逢瀬。

 

前回の国際フォーラムでの私と言えば、初めての吉井和哉様のライブということでただただテンションが上がって、はしゃいで、号泣していました。

 

その時は弟と一緒に参戦したのですが、

「ライブ中にハイテンションではしゃぎ、直後に号泣している情緒不安定な兄」

をどういう気持ちで見ていたかは怖くて未だに聞けないままです。

 

 

そんな甘酸っぱい吉井和哉様初体験から早7年、2015年に年末恒例の武道館ライブ「Kazuya Yoshii Beginning & The End」で拝見して以来3年ぶりのソロライブ参戦。

 

 

 

ここ数年、毎年のようにイエモンのライブに参戦しており、イエモンでご活躍の吉井和哉様は拝見しておりましたが、ソロの吉井和哉様は久しぶり。

 

 

正直、ソロの最後の頃には、

 

吉井和哉様単体もいいけど、そろそろイエモン復活してくれないかなぁ」

 

みたいな不謹慎な気持ちでライブに足を運んでいた私。

だって、ソロのライブでイエモン時代の楽曲を演奏されると盛り上がってる自分がいるんですもの。

 

以前の日記にも同じことを書きましたが、

 

吉井和哉に抱かれながら、心ではイエモンのことを考えている状態」。

 

私の中にビッチがいるのを感じた瞬間でした。

 

 

しかし、あれだけ望んでいたイエモンが復活してライブに何度か参戦していると、

 

イエモン吉井和哉様も素敵だけど、ソロの吉井和哉様はもう見れないのかなぁ」

 

と思ってしまうビッチな私。

 

「ホントに会いたくて何年も待ち焦がれたイエモンに抱かれながら、ずっと側にいてくれて支えてくれた吉井和哉のことを考えている状態」。

 

もはやクソビッチ。

 

だってソロの楽曲にも名曲が多いし、正直イエモンにハマったのは解散してからだから聴いてる期間が長いのはソロの時代の方が長いし、その分ソロの楽曲に思い入れが多いのは事実だし、ソロのライブにも何回も足を運ぶくらい好きだったし、結局、、、私、、、ホントに好きだったのは、、、貴方なの、、、、、、好き、、、私が一番好きだったのは貴方だったことに気づいたの!!

 

まるで

「自分から別れを切り出した元カレの大切さに気づいてしまい、ヨリを戻そうとするビッチ」

みたいな感じで寄る辺ない気持ちを持て余していたところに今回のソロツアーの情報が。

もう、速攻で申し込みましたよね。

それはもう

「元カレから連絡が来て尻尾振って会いに行くクソビッチ」

くらいのスピードで。どうせセフレが関の山だからやめとけばいいのに。元カレにはもうかわいい彼女いるから。

 

 

そんなこんなで無事にチケットも取れ、当日を迎えました。

吉井和哉様、念願のソロライブで落ち着かない私は、一緒に参戦する大学時代の友人と開演ギリギリまで居酒屋でお酒を飲んでほろ酔いで会場に。

 

 

ほどなく始まるライブ。

 

 

その後の私と言えば、久しぶりの吉井和哉様のソロライブにただただテンションが上がって、はしゃいで、号泣していました。

 

一緒に参戦した友人には、

「ライブ中にハイテンションではしゃぎ、直後に号泣している情緒不安定な大学時代の友人である私」

をどういう気持ちで見ていたかは怖くて未だに聞けないままです。

 

大学時代の友人とはその後も飲み会等で会ってますが、今まで通り接してくれています。それは彼の優しさなのか。

 

今回の件は、是非とも墓まで持って行ってもらいたい。決して飲み会でネタとかにしないで欲しい。ネタにされたらマジでグーで殴る所存です。

 

 

 

そして吉井和哉様には、まずはイエモンでニューアルバムを出してもらい、時にはソロでもニューアルバムを出して、バンドとソロのどちらのライブも続けてもらいたい。

 

大変だとは思いますが、私の中のビッチを満足させることが出来るのは吉井和哉様しかいないのです。よろしくお願いいたします。

スポーツジムと武千代

私はかれこれ1年半くらいスポーツジムに通っている。

 

30過ぎて、運動もほとんどしてないし、お酒を飲むこと多いし、タバコも吸うし、生活も不規則なので体調管理も兼ねてジムに通い始めた。

 

仕事の終わりが遅いので仕事の日はほとんど行けないので、週に1、2回行ければいい方。仕事が忙しくなると行けなかったりもするので全然ストイックではなくマイペースに通っている。

 

ジムの良いところはスマホと距離を置けるところと、運動してる時は頭が空っぽに出来るところと、運動終わりの交互浴が気持ちよくて至福であることだろう。

 

普段、生活していてスマホをいじらない時間は短いし、仕事のことやらプライベートのことで考えることも多いし、仕事終わりが遅いので湯船にゆっくり浸かることも少ないのでジムに行くのは私にとってストレス解消と、体のメンテナンスに一役買っている。

 

 

 

 

というのは建前で、ジムに入会した当時、私はジムに通えば、ジムに通いさえすれば、ジムにいる可愛いおねいさんと仲良くなれると信じていた。

 

ジムにいれば

「体を動かすことが好きで健康的な趣味を持っている爽やかな男性」

というイメージが勝手におねいさんの中で醸造され、仲良くなるのも容易、正直チョロいくらいに考えていた。

健康的にもなって、おねいさんとも仲良くなれて一石二鳥じゃないかと。

 

しかし、私は平日休みのため、平日の午前中からお昼過ぎくらいの時間にジムに行くことが多い。

平日の午前中からお昼頃のジムの客層をご存知だろうか。

 

 

 

 

おじさんと、おばさんである。

 

 

 

 

年齢層には結構幅があるのだが、もれなくおじさんとおばさん。だいぶおじさんもいるし、ややおじさんもいる。もちろんだいぶおばさんもいるし、ややおばさんもいる。

 

しかし、若いおねいさんなんは、いない。皆無だ。

 

これは誤算だった。

 

平日の昼間、いつものようにジムに行くと受付でおしゃべりしているおばさん集団、男性ロッカールームにはおじさんだらけ、ジムエリア手前にある休憩所ではまた別のおばさん集団が陣取っている、ジムエリアに入ると右も左もおじさんとおばさん、レッスンをやっているスタジオの中もおじさんとおばさんがすし詰め状態、運動を終えてお風呂に入るとそこには大量の裸のおじさん。

 

もしもベジータがこの状況を見たらこう言うだろう、

 

 

「まるでおじさんとおばさんのバーゲンセールだな。」

 

 

と。

 

 

私も33歳なので「自分は若いぞ!」と大手を振って言えなくなって久しいですが、あの空間にいたら私なんて若手も若手。この年で最若手じゃないかって日すらある。33歳で最若手なんて久しぶりだ。

 

こんなはずではなかった。おじさんとおばさんに囲まれて体を鍛えるなんて想像してなかった。加齢臭を超えた老齢臭がキツイ日だってある。そんなの入会する時に聞いてない。説明不足じゃないか。おい、責任者はどこだ。

 

 

そんな出会いもトキメキもない中、私はただただストイックに体を鍛え、闇雲に、やや捨て鉢な気持ちで健康を増進している。

 

黒髪のショートヘアがよく似合う、引き締まった健康的なボディーで、20代中盤素敵な女性を待ちながら。

社員旅行に行きたくなくて色々策を練ってみる

先日、上司が9月に社員旅行に行くことを発表した。

 

その瞬間から私は、

「どうしたら社員旅行をパス出来るか」

をずっと考えている。

 

行きたくない。私は社員旅行に行きたくないのだ。

 

会社の飲み会だって行きたくないのに、会社のバーベキューだって行きたくないのに、もはや会社にすら行きたくないのに。社員旅行だなんて。

 

私にとって社員旅行は「参加したくない会社の行事」のぶっちぎりで1位。2位以下に大差をつけての1位。2位に48ゲーム差ぐらいつけて1位、なんなら開幕した時から2位に17ゲーム差くらいついてる。

 

 

そもそも休みの日に会社の人と会うのがとても嫌だ。平日に毎日会ってるのに。休みの日くらい顔を見たくない。

 

数えてみると社員旅行に行った週は「12日間」連続で職場の人と顔を合わせないといけなくなる。約半月にも及ぶ長期間、毎日顔を合わせるなんて。私は、連続して12日間も、職場の人と会いたくない。地獄だ。

 

12日間も顔を合わせたい人なんてこの世に「吉岡里帆」と「吉高由里子」、「広瀬すず」、「小松菜奈」、「本田翼」、「波瑠」、「木村カエラ」、「北川景子」、今パッと思い出せるのはこれくらいだ。

 

ネットで、

「社員旅行  行きたくない」

と打ち込むとたくさん休む口実を掲載してるページが出てくるから面白い。

みんな社員旅行に行きたくないんだ。そう思うと心強い。同士はたくさんいる。私はひとりじゃない。

 

調べてみるとプランは色々とあるようで、みんなあの手この手を使って社員旅行を断ることに必死に知恵を絞っている。

 

代表的な断り文句としては、

「大切な友人の結婚式」

をデッチ上げるというのがあった。

社員旅行より前に決まっている結婚式より社員旅行を優先しろ、とはさすがに言われないだろうという作戦。確かにこれは使える。幸い友人はたくさんいる。選り取り見取りだ。誰を結婚させてやろうか。

 

しかし、我々の会社は平日休み。よって社員旅行の日程も平日。平日に結婚式を挙げる友人というのはいささか信憑性に欠ける。ダメだ、これは使えない。

 

 

他には

「家族との予定」

というのもあったが、残念ながら私は33歳、独身のため両親と弟夫婦と祖父母以外に家族がいない。

この布陣で、私だけ平日休みで、平日に開催される社員旅行を、上手に断る口実を、私は思いつかない。誰かに死んでもらう以外に思いつかない。さすがにそれはバレる、死んでいない人を死んだことにするのは難しい。

しかも毎年家族の不幸で社員旅行を欠席していたら、数年したら私は天涯孤独になってしまう。バレる、これもダメだ。

 

 

更に強硬策のような

「正直に行きたくない事を伝える」

というのもあった。変に嘘をつくと、その嘘がバレないように更に嘘を重ねて精神衛生上よくない、翌年以降も断るならこの際本当の事を打ち明けて断ろう、みたいな感じ。

確かに、それはごもっともだ。誰も嘘なんてつきたくない。

ただそれは上司が話のわかる人で、比較的進歩的な考えを持ってる場合じゃないと通用しない。

私の上司は身長180cmを超え、見た目はまるで戸愚呂弟のようで、声は低くデスボイス、毎日夜遅くまで仕事する事を奨励し、そして何より社員旅行を楽しみにしている。

そんな先進性は無くとも圧倒的な強さを誇る上司に社員旅行に行きたくないと正直に伝えるとどうなるか。

 

 

 

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こうなるか、

 

 

 

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こうなるだろう。

 

私はまだ死にたくない。やりたい事もたくさんある。ここで死ぬわけにはいかない。しかし現時点での私の実力では戸愚呂弟を倒すのは不可能だ。あっけなく力尽きるだろう。秒殺、いや、瞬殺だ。

 

しかし、私が戸愚呂弟を倒す道を選び、仕事そっちのけで玄海師範の下で修行を積み、仮に戸愚呂弟を倒せる程の強さを身につけることが出来たとしよう。恐らくその頃には、社員旅行は無事に終わり、私は会社での居場所を失っているだろう。サラリーがなくなるのも困る。生活が出来ない。それは困る。

 

 

まさに八方塞がり。

 

 

もう万策尽きた。私は社員旅行に参加するしかないのだ。悔しい、私はとても悔しい。

 

 

私は自分の意思を貫けなかった悔しさや悲しみを抱えたまま、

沖縄の綺麗な海で泣く泣くマリンアクティビティに興じ、

白い砂浜でパラソルの下、嫌々ピニャ・コラーダやマイタイを飲み、

苦し紛れに国際通りでショッピングをし、

夜は三線の演奏を聴きながら沖縄料理に渋々舌鼓を打ち、

不本意ながら夜の街に繰り出して、

沖縄美女とのパーリナイを余儀なくされるのであろう。

 

 

 

 

誠に遺憾である。

「ジャンボンハムレタスサンド」の「ジャンボンハム」とは一体

私は33歳、独身、一人暮らしのため、残念ながら朝ごはんを作ってくれる人がいない。

なので朝は少し早く起きて職場の近くの喫茶店で朝食を取るのがここ数年の日課になっている。

 

半年程前に異動があり、そこからは毎朝、職場近くの「エクセルシオールカフェ」で朝食を済ませている。

 

エクセルシオールカフェ」のモーニングは4種類あり、

・たっぷりタマゴサラダサンド

・ジャンボンハムレタスサンド

・クロックムッシュ

・厚切りフレンチトースト

で構成されている。

 

この4つのメニューの中から私は毎朝「ジャンボンハムレタスサンド」を食している。

 

一応、「ジャンボンハムレタスサンド」に落ち着くまでに「たっぷりタマゴサラダサンド」(これは時期によってメニューが変わるはず)も「クロックムッシュ」も食してみて、最終的に「ジャンボンハムレタスサンド」に落ち着いた。

 

「厚切りフレンチトースト」だけは今まで食していない。三十路を過ぎたおっさんが朝からフレンチトーストを食べるのはいささかはばかられる。

でも美味しそうだ、しかも普通のフレンチトーストじゃない、「厚切り」だ。なんなら「はちみつ」も付いてくる。美味しいに決まってる。

でも頼まない、三十路過ぎたおっさんがフレンチトーストを美味しそうに頬張っている姿は朝から刺激が強すぎる。昼間だって、夜だって刺激が強い。

だから私はフレンチトーストを頼まない、これは大人のマナーだ。

 

三十路を過ぎたおっさんがどうしてもフレンチトーストが食べたかったらどうしたらいいのか。

 

 

 

 

家で、自分で作って、食え。

 

 

 

 

先日、いつものようにカフェの店員さんに「ジャンボンハムレタスサンド」を注文した時にふと、「ジャンボンハム」とは何だ?、と思いその日の朝食は「ジャンボンハム」についての思索に耽っていた。

 

「ジャンボンハム」

 

初めて見た時は「ジャンボハム」かと思ったが違う、「ジャンボンハム」だ。33年生きてきて初めて見た単語だった。

 

「ジャンボンハム」

 

最初は「ジャンボンハム」と言う自分に気恥ずかしさを感じていたが、今はもうなんとも思わない。自然に「ジャンボンハム」と店員さんに言うことが出来る。むしろ半年前に比べたら発音良く「ジャンボンハム」と言えている自信すらある。

 

「ジャンボンハム」

 

ただ、私は約半年に渡ってほぼ毎日のように「ジャンボンハム」というフレーズを発していたが、「ジャンボンハム」がどういったハムなのか知らない。なので毎日食べている「ジャンボンハムレタスサンド」に挟んであるハムが本当に「ジャンボンハム」なのかどうかは私にはわからない。

 

「ジャンボンハム」

 

もしも「ジャンボンハムレタスサンド」のハムを普通の「ロースハム」にすり替えられていて、気づかず毎日食べている私の事を「あの人毎朝「ジャンボンハムレタスサンド」頼んでるけどホントはただの「ロースハムレタスサンド」食べてるのよ笑。しかも半年間ずっと気付かないのよ笑。」と店員さんの間で笑い者になっているかもしれない。さすがにそれは卑怯だと思う。

 

「ジャンボンハム」

 

たまにスーパーで買い物をすることがあるが、「ジャンボンハム」という商品は見たことがない。むしろ「エクセルシオールカフェ」以外では見たことがない。こうなると「ジャンボンハム」が実在するのかも怪しく感じる。もしかすると「成城石井」、「紀伊国屋」のような高級スーパーにはあるかも知れない。しかし、私の家の近所にはどちらのスーパーもない。あるのは「西友」と「イオン」だけだ。

 

「ジャンボンハム」

 

果たして実在するのか「ジャンボンハム」。私は得体の知れない「ハム」、すなわち「ジャンボンハム」が挟んであるサンドイッチをここ半年間、毎日欠かさず食べている。これは恐ろしい事ではないか。自分が食べている「ハム」のことをよくわかっていないのにも関わらず毎日食べ続けている、のだ。無関心の極みだ。毎日食べているのに、だ。

 

「ジャンボンハム」

 

「概念としてのハム」があり、「実態としてのハム」がある。普段、我々が目にするのは「実態としてのハム」であり決して「概念としてのハム」ではない。スーパーで販売されている「ハム」は「実態としてのハム」であることに異論はないだろう。では「概念としてのハム」とは一体何なのか。その答えの一つがもしかすると「ジャンボンハム」なのではないかと私は考える。

 

「ジャンボンハム」

 

「ジャンボンハム」は「概念」なのである。そして私は「概念としてのハム」である「ジャンボンハム」が挟んである「ジャンボンハムレタスサンド」を毎朝食べている。その「概念としてのジャンボンハム」を挟む、「パン」と「レタス」は「実態としてのパン」と「実態としてのレタス」である。そこにも異論はないと思う。何故なら「概念としてのジャンボンハム」を「概念としてのパン」や「概念としてのレタス」では挟めないからだ。もしも、この世に「全てが概念としてのジャンボンハムレタスサンド」があるとしたら、それはお皿に何も乗っていないのと同義だ。

 

「ジャンボンハム」

 

ここまで書いてきて私は薄々気付いている。

 

早くググればいいのだ、「ジャンボンハム」を。

 

そうすれば「ジャンボンハム」の写真から「ジャンボンハム」がどうやって作られるかまできっと全てGoogleが教えてくれる。しかし、私はそれを良しとしない。便利になり過ぎた世の中で、人は自分で何かを考えるということを放棄してしまってはいないか。私は警鐘を鳴らしたい。

 

みんなが考える「ジャンボンハム」があったっていい。100人100通りの「ジャンボンハム」があったっていいじゃないか。私は強くそう思う。そして筆を置こうと思う。

 

 

 

みんなの心の中に「ジャンボンハム」はいます。

 

 

 

 

 

 

一度は食べたい世界のハム|日本ハム株式会社

 

フランス語で「ハム」だったみたいです。

「だもんで」と言う営業マンから電話がかかってきた件

先日、職場に広告の営業マンから電話がきた。

 

声の感じ50絡みのおじさん、30そこそこの私よりだいぶベテラン。流暢な営業トークで広告を載せないかとアピールする50絡みの営業マン。

 

営業の酢いも甘いも噛み分けたような、百戦錬磨のようなオーラを電話越しに感じる私。

 

ただ、少し話しをするうちに気づいた。

 

 

 

この人「だもんで」って言い過ぎじゃない?、と。

 

 

 

センテンスとセンテンスの間にことごとく「だもんで」って挟んでくる、なんならセンテンスのスタートにも「だもんで」って言ってる、それどこからの「だもんで」なんだ。

 

もう途中から広告のセールストークそっちのけで何回「だもんで」って言うか数えてた。そしたら1、2分の会話の間に26回くらい「だもんで」って言ってた。

 

 

 

広告を担当しているのは店長で、外出中だったのでその旨を伝えると、

 

 

 

 

「さようでございますか、店長様はお出かけだったもんでいらっしゃいますか。」

 

 

 

 

 

!?

 

 

 

 

 

「お出かけだったもんでいらっしゃいますか」

 

 

 

新しい。

 

 

 

「だもんで」の過去形、「だったもんで」と敬語のコラボレーション。

 

 

「だもんで」って一般的には敬語とは遠い存在だと思うんです。ビジネス会話の中では使っちゃいけない類のフレーズ。新入社員がお客様と電話中に「だもんで」って連発したら、電話終わった後にすぐさま先輩社員が注意するレベル。お前口癖ですげー何回も「だもんで」って言ってるよ、気付いてる?、意識して治さないとダメだよ、みたいな。

 

 

 

しかし、「だもんで」使いこなし、もはや1番遠い存在である「敬語」と融合させるレベルまで到達したこの50絡みの営業マン…出来る!

 

平坦な道のりではなかったはずだ。何度も何度も注意されても「だもんで」を使い続けた男気溢れる営業スタイル…賞賛に値する!

 

 

 

とか妄想しながらニヤニヤして電話を受けていたのですが、私に広告掲載の権限がないとわかるとそそくさと電話を切られてしまいました。

 

 

もっとお話ししたかった、あなたの「だもんで」をもう少し聞きたかった。そして過去形の「だったもんで」を超える新たな活用形を披露して私の度肝を抜いて欲しかった。残念でならない。寂しい。この気持ちをどこにぶつければいいの。また、すぐ電話して来てくれるだろうか。その時きっとあなたは最初から店長を指名して私となんか話してくれないんだ。寂しい。私はあなたのなんだったの。話しかけてくれたのはただの気まぐれだったの…?

 

 

 

 

そろそろ仕事を真面目に取り組もうと思います。