モッズ系、ロックンロール帰国子女
私は帰国子女である。
高校3年の冬から大学4年まで様々な国を回ってきた。
特にイギリスは良かった、1番肌に合ったので、1番長く滞在していた。いつもカッコいいと思えるものはイギリス発信だった気がする。
アメリカも良い、西海岸のカラッとした陽気な感じはすごく好きだった。ニューヨークの自由な空気感も素敵だ。
オーストラリアは時々、突然変異的に素晴らしいロックンロールが鳴らされる。
イスラエルにパンクバンドってあるんだ、って当時は衝撃を受けた。
そう、全てロックンロールのことです。
全て洋楽の話し。
私は、「ロックンロール的」な意味でいえば圧倒的に帰国子女なんです。
高校3年の冬から社会人になるまで洋楽しか聞いてなかったし、カラオケ行っても洋楽しか歌わなかった。社会人になり、職場の人とカラオケに行って、歌える歌が一曲も無くて凍りつくくらい邦楽をおざなりにしていた時代。
当時、私の狭い世界は完全にイギリス。大学のあった渋谷は日本のイギリス。きっとそう。少なくとも僕の中ではそうだった。
センター街も、宮益坂も、明治通りも、全部気持ち次第でブリティッシュ。スペイン坂だって「スペイン」って付いてるけどもうブリティッシュ!
だから私はイギリスからの帰国子女。だから紅茶が好き。
大学生だった私の関心事は、
「いかにブリティッシュであるか。」
という一点。
当時の洋楽はいわゆる「ロックンロールリバイバル」からの流れでUKロックが大流行。
The LibertiesやFranz Ferdinand、Arctic Monkeys、The View、Kasabian、Razorlight、The Ordinary Boys…
挙げ始めたらキリがないくらいUKのロックバンドがロッキンオンで紹介されている時代でした。
そんなバンドのCDを片っ端から買い漁り、ロッキンオンだけでなくスヌーザーもクロスビート買い込み情報を仕入れ、タワレコの視聴機で何時間も視聴して新しいバンドを探して、貴重な大学生というモラトリアム期間を浪費する私。
まだiPodなんかも一般的でない時代、CDウォークマンを常に持ち歩き、CDショップを出たら買ったばかりのCDをウォークマンに入れて聴いて渋谷の街をぶらついて一人ブリティッシュ感を味わう私。
もったいない、もっとやることあっただろ、自分よ。
その当時、同時期にハマった「鳥肌実」が演説で「モッズ系」というフレーズを使っていたことにより、「ブリティッシュ系」だった私は一気に「モッズ系」に接近し、今日に至ります。
モッズ系、34歳、独身。
夏場はフレッド・ペリーのポロシャツ、冬場はフレッド・ペリーのモッズコートを着用しています。
今後も日本のモッズ界を牽引できるよう、精進して参ります。