その男、武千代

38歳、モッズ系2児の父。

モッズ系、ロックンロール帰国子女

私は帰国子女である。

 

高校3年の冬から大学4年まで様々な国を回ってきた。

 

アメリカ、イギリス、オーストラリア等。時にはイスラエル

 

特にイギリスは良かった、1番肌に合ったので、1番長く滞在していた。いつもカッコいいと思えるものはイギリス発信だった気がする。

 

アメリカも良い、西海岸のカラッとした陽気な感じはすごく好きだった。ニューヨークの自由な空気感も素敵だ。

 

オーストラリアは時々、突然変異的に素晴らしいロックンロールが鳴らされる。

 

イスラエルにパンクバンドってあるんだ、って当時は衝撃を受けた。

 

 

そう、全てロックンロールのことです。

全て洋楽の話し。

 

 

私は、「ロックンロール的」な意味でいえば圧倒的に帰国子女なんです。

高校3年の冬から社会人になるまで洋楽しか聞いてなかったし、カラオケ行っても洋楽しか歌わなかった。社会人になり、職場の人とカラオケに行って、歌える歌が一曲も無くて凍りつくくらい邦楽をおざなりにしていた時代。

 

当時、私の狭い世界は完全にイギリス。大学のあった渋谷は日本のイギリス。きっとそう。少なくとも僕の中ではそうだった。

センター街も、宮益坂も、明治通りも、全部気持ち次第でブリティッシュ。スペイン坂だって「スペイン」って付いてるけどもうブリティッシュ

だから私はイギリスからの帰国子女。だから紅茶が好き。

 

 

大学生だった私の関心事は、

「いかにブリティッシュであるか。」

という一点。

 

当時の洋楽はいわゆる「ロックンロールリバイバル」からの流れでUKロックが大流行。

The LibertiesやFranz FerdinandArctic Monkeys、The View、KasabianRazorlightThe Ordinary Boys

挙げ始めたらキリがないくらいUKのロックバンドがロッキンオンで紹介されている時代でした。

 

そんなバンドのCDを片っ端から買い漁り、ロッキンオンだけでなくスヌーザークロスビート買い込み情報を仕入れ、タワレコの視聴機で何時間も視聴して新しいバンドを探して、貴重な大学生というモラトリアム期間を浪費する私。

まだiPodなんかも一般的でない時代、CDウォークマンを常に持ち歩き、CDショップを出たら買ったばかりのCDをウォークマンに入れて聴いて渋谷の街をぶらついて一人ブリティッシュ感を味わう私。

 

もったいない、もっとやることあっただろ、自分よ。

 

その当時、同時期にハマった「鳥肌実」が演説で「モッズ系」というフレーズを使っていたことにより、「ブリティッシュ系」だった私は一気に「モッズ系」に接近し、今日に至ります。

 

モッズ系、34歳、独身。

 

夏場はフレッド・ペリーのポロシャツ、冬場はフレッド・ペリーのモッズコートを着用しています。

 

今後も日本のモッズ界を牽引できるよう、精進して参ります。

「平成最後の夏休み」の前夜祭

「平成最後の夏休み」が終わって、平常運転に戻っております。

 

働くって辛い。

 

夏休み中、ダレにダレ切って、

仕事のことをすっかり忘れて、

ストレスフリーな日々を過ごしたせいか、

仕事のストレスに対する耐性がなくなっている。

 

頭が、体が、働くことを拒否してる。

 

8月一杯は仕事モードに戻るためのリハビリ期間とさせて頂きます。

 

 

 

さて、「平成最後の夏休み」の前日、我々(私と会社の同僚)は浮足立っておりました。

 

これから約1週間は会社に行かなくていい、

仕事と距離を置ける、

戸愚呂弟みたいなボスからの圧力を受けなくて済む、

そう考えると否が応でもテンションが上がります。そうなれば飲みに行くしかない、と。

 

 

平成最後の夏休み前に盛大に飲もう、

前夜祭だ、

祭だ、

一軒で済むはずがない、

何軒もはしごしよう、

はしご酒だ、

金に糸目はつけるな、

この店で一番高い酒を持ってこいって言ってやろう、

そして朝まで飲んでやろう、

途中でどちらかが生き絶えても残った方が朝まで飲むんだ、

屍を越えて行くんだ、

振り返るな、

骨も拾うな、

うちらは馴れ合いの関係じゃないだろ、

高みを目指そう、

そうだ、

我々は更なる高みを目指すんだ。

 

と、互いに互いを鼓舞し、意識を高く持ち、ひとしきり息巻いて飲みに行きました。

 

 

記念すべき一軒目はイカ料理が中心で、特に「イカの刺身」をプッシュしているお店へ。スタートからホッピーで乾杯し、イカ料理を頂きました。

しかし、我々はお店のイチオシである「イカの刺身」は食べませんでした。イカの刺身を頼まない我々を訝しんでいる様子の店員さん。何度かオススメされましたが、断固として注文しませんでした。

我々、パンクスなんで。

 

二軒目はホルモン屋さんに。そこでも我々はホッピースタート。ホッピーとホルモンの相性は最高で、グイグイホッピーを飲んでいきます。

調子に乗ってたくさんホルモンを食べ、たくさんホッピーも飲んでアッパーなテンションになる我々。この辺りから我々のリミッターが完全に外れました。

 

その勢いのまま三件目は同僚行きつけのスナックへ。私も何度か行ったことがあり、アットホームな雰囲気でついつい長居してしまう困ったお店。

もちろんその日も大いに長居をして閉店の時間までお邪魔することに。

 

我々の勢いはとどまらず、一蘭のラーメンを挟み、スナックの女性達ともう一軒飲みに行くことに。

夜中のラーメンというのはどうしてあんなに美味しいのか。少なく見積もっても昼間に食べるラーメンより3割増しで美味い。

 

そして最終的に我々が辿り着いたのはダーツやビリヤードの出来るお店。

そのお店には卓球台があり、長時間飲み過ぎておかしなテンションになってることも相まって明け方3時頃から卓球に興じる我々。しばらくすると同僚はワイシャツを脱ぎ捨て、ベージュのエアリズム姿に。完全な本気モード。

閉店の時間まで本気で卓球をして、お店を出るともう空が明るくなってました。

 

卓球というスポーツはとてもアクティブなスポーツです。決してお酒をたくさん飲んで、明け方に実施するスポーツじゃない。そんなことするとボロボロになる。それはもうボロボロになる。

 

ボロボロになった私は何度も電車を寝過ごし、普段の倍以上の時間をかけて家に帰りました。

「平成最後の夏休み」の記念すべき初日は一日中寝て終わりました。

 

 

これから何をやるにしても

「平成最後の〇〇」

になるので、その度に過激な前夜祭を繰り広げようと考えております。

 

「フットサル」と言う名の無理ゲー

先日、会社の同僚とフットサルに参加した。

 

今まで何度かフットサルには参加しているが、いつも思うことがある。

 

フットサルは無理ゲーだ。

 

 

まず、ゴールが小さい。

みんなよくあんなとこにシュート決めれるなと思う。

キーパーがいたら隙間なんてほとんどない。

そこにさらにディフェンスの人もいる。

シュートコースなんて無い。

無理ゲーだ。

 

 

次にコートが小さい。

小さいコートに大の大人が10人くらいワラワラしてる。

ドリブルだってすぐ取られるし、パスコースだってほとんどない。

無理ゲーだ。

 

 

あと私が参加するフットサルのメンバーだけなのかも知れないが、休憩もしないでずっと試合してる。

この前なんか2時間近く走りっぱなし。

しかもだいたいダッシュで。

そんな体力どこにあるんだ、みんな。

無理ゲーだ。

 

 

他にも上手い人のミドルシュート良く入るとか、経験者の当たりが強いとか、ふかすパス出しがちとか色々あるけどとにかくどれもこれも無理ゲー。

 

 

あと、筋肉痛が翌日じゃなくて、満を持して翌々日にくるとかマジ辛い。

 

それは私が歳なだけか。

披露宴の「ステージサイド席」

これもまた6月のことですが、会社の後輩の披露宴に出席しました。

 

 

確か後輩は26歳。奥さんも同級生だったと思うのできっと26歳。若いな、おい。

 

三十路も中盤戦の私がウダウダしてる間に、若い人たちがその横を猛スピードで追い抜いていく。すごいね、その決断力。私には真似出来ないわ。

 

 

披露宴当日の朝、最寄駅で同僚と待ち合わせ、カフェでビールを何杯か飲んで、ほろ酔いで会場のホテルへ向かいます。朝から飲むビールは何故あんなにも美味しいのか。

 

もはや披露宴に参加することについてはベテランである我々は、御祝儀袋も、筆ペンもホテル近くのコンビニで調達。我々クラスになると「事前に用意をする」ということがなくなります。基本、現地調達。そのうちネクタイも、最後にはスーツまでも現地調達する日が来るかもしれない。

 

そしてホテルのロビーでお金を入れて、記名して、ネクタイ締めて受付へ。

 

受付で御祝儀袋を渡すといつものように披露宴の座席表を渡され、受け取る私。

 

 

今回は職場の先輩枠での招待だから前の方なんだろうなんだろう、と思いながら座席表を開くと案の定前の方。

 

新郎新婦席の真正面、アリーナ最前列が職場の偉い人の席で、その隣が我々偉くはない先輩席。ライブ会場なら偉い人の席がボーカルの前で、我々はギターかベースの人の前。

 

 

会場に入って席に着いてわかったんですが、この席、新郎新婦の席に対して角度が狭いんです。サッカー的に言うと、角度がない。

 

なんかこう、ライブの機材の設営が終わって、なんだここまだお客入れられるじゃん、って感じで作られたステージサイド席のよう。

 

チケット買うときに注意書きで、

「ステージサイド席は演出が見えづらいお席となります。予めご了承ください。」

って書いてある席。

 

言っちゃうともうほとんど、

真横

の席で。

 

 

新郎新婦が入場して、新郎が来賓の方々に向けて挨拶してるんですが、新郎が全然見えない。

 

新郎新婦席の横に置いてあるケーキカット用のケーキが新郎にモロ被りしてる状態。

 

 

私の角度から見ると、

「新郎:ケーキ、新婦:人間」

という披露宴のベテランである私も初めて見る構図。

 

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後輩である新郎がケーキに変わっている。

 

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ケーキに椅子を用意する係員の人。

彼にとっても初めての経験ではないでしょうか。

 

 

披露宴の演出は見えづらかったですが、同じテーブルの同僚とずっとこのケーキネタで盛り上がって結構楽しかったです。

吉井和哉様のライブ行った話

あれはもう6月のことですが、吉井和哉様のソロツアー「Kazuya Yoshii 15th Anniversary Tour 2018 -Let’s Go Oh! Honey-」に参戦いたしました。

 

 

東京公演の会場は東京国際フォーラム

 

 

思えば、私が初めて吉井和哉様のライブに参戦したのも東京国際フォーラム、「Flower & Powerlight Tour 2011」のことでした。私の初体験を捧げた場所で、再び吉井和哉様との逢瀬。

 

前回の国際フォーラムでの私と言えば、初めての吉井和哉様のライブということでただただテンションが上がって、はしゃいで、号泣していました。

 

その時は弟と一緒に参戦したのですが、

「ライブ中にハイテンションではしゃぎ、直後に号泣している情緒不安定な兄」

をどういう気持ちで見ていたかは怖くて未だに聞けないままです。

 

 

そんな甘酸っぱい吉井和哉様初体験から早7年、2015年に年末恒例の武道館ライブ「Kazuya Yoshii Beginning & The End」で拝見して以来3年ぶりのソロライブ参戦。

 

 

 

ここ数年、毎年のようにイエモンのライブに参戦しており、イエモンでご活躍の吉井和哉様は拝見しておりましたが、ソロの吉井和哉様は久しぶり。

 

 

正直、ソロの最後の頃には、

 

吉井和哉様単体もいいけど、そろそろイエモン復活してくれないかなぁ」

 

みたいな不謹慎な気持ちでライブに足を運んでいた私。

だって、ソロのライブでイエモン時代の楽曲を演奏されると盛り上がってる自分がいるんですもの。

 

以前の日記にも同じことを書きましたが、

 

吉井和哉に抱かれながら、心ではイエモンのことを考えている状態」。

 

私の中にビッチがいるのを感じた瞬間でした。

 

 

しかし、あれだけ望んでいたイエモンが復活してライブに何度か参戦していると、

 

イエモン吉井和哉様も素敵だけど、ソロの吉井和哉様はもう見れないのかなぁ」

 

と思ってしまうビッチな私。

 

「ホントに会いたくて何年も待ち焦がれたイエモンに抱かれながら、ずっと側にいてくれて支えてくれた吉井和哉のことを考えている状態」。

 

もはやクソビッチ。

 

だってソロの楽曲にも名曲が多いし、正直イエモンにハマったのは解散してからだから聴いてる期間が長いのはソロの時代の方が長いし、その分ソロの楽曲に思い入れが多いのは事実だし、ソロのライブにも何回も足を運ぶくらい好きだったし、結局、、、私、、、ホントに好きだったのは、、、貴方なの、、、、、、好き、、、私が一番好きだったのは貴方だったことに気づいたの!!

 

まるで

「自分から別れを切り出した元カレの大切さに気づいてしまい、ヨリを戻そうとするビッチ」

みたいな感じで寄る辺ない気持ちを持て余していたところに今回のソロツアーの情報が。

もう、速攻で申し込みましたよね。

それはもう

「元カレから連絡が来て尻尾振って会いに行くクソビッチ」

くらいのスピードで。どうせセフレが関の山だからやめとけばいいのに。元カレにはもうかわいい彼女いるから。

 

 

そんなこんなで無事にチケットも取れ、当日を迎えました。

吉井和哉様、念願のソロライブで落ち着かない私は、一緒に参戦する大学時代の友人と開演ギリギリまで居酒屋でお酒を飲んでほろ酔いで会場に。

 

 

ほどなく始まるライブ。

 

 

その後の私と言えば、久しぶりの吉井和哉様のソロライブにただただテンションが上がって、はしゃいで、号泣していました。

 

一緒に参戦した友人には、

「ライブ中にハイテンションではしゃぎ、直後に号泣している情緒不安定な大学時代の友人である私」

をどういう気持ちで見ていたかは怖くて未だに聞けないままです。

 

大学時代の友人とはその後も飲み会等で会ってますが、今まで通り接してくれています。それは彼の優しさなのか。

 

今回の件は、是非とも墓まで持って行ってもらいたい。決して飲み会でネタとかにしないで欲しい。ネタにされたらマジでグーで殴る所存です。

 

 

 

そして吉井和哉様には、まずはイエモンでニューアルバムを出してもらい、時にはソロでもニューアルバムを出して、バンドとソロのどちらのライブも続けてもらいたい。

 

大変だとは思いますが、私の中のビッチを満足させることが出来るのは吉井和哉様しかいないのです。よろしくお願いいたします。

スポーツジムと武千代

私はかれこれ1年半くらいスポーツジムに通っている。

 

30過ぎて、運動もほとんどしてないし、お酒を飲むこと多いし、タバコも吸うし、生活も不規則なので体調管理も兼ねてジムに通い始めた。

 

仕事の終わりが遅いので仕事の日はほとんど行けないので、週に1、2回行ければいい方。仕事が忙しくなると行けなかったりもするので全然ストイックではなくマイペースに通っている。

 

ジムの良いところはスマホと距離を置けるところと、運動してる時は頭が空っぽに出来るところと、運動終わりの交互浴が気持ちよくて至福であることだろう。

 

普段、生活していてスマホをいじらない時間は短いし、仕事のことやらプライベートのことで考えることも多いし、仕事終わりが遅いので湯船にゆっくり浸かることも少ないのでジムに行くのは私にとってストレス解消と、体のメンテナンスに一役買っている。

 

 

 

 

というのは建前で、ジムに入会した当時、私はジムに通えば、ジムに通いさえすれば、ジムにいる可愛いおねいさんと仲良くなれると信じていた。

 

ジムにいれば

「体を動かすことが好きで健康的な趣味を持っている爽やかな男性」

というイメージが勝手におねいさんの中で醸造され、仲良くなるのも容易、正直チョロいくらいに考えていた。

健康的にもなって、おねいさんとも仲良くなれて一石二鳥じゃないかと。

 

しかし、私は平日休みのため、平日の午前中からお昼過ぎくらいの時間にジムに行くことが多い。

平日の午前中からお昼頃のジムの客層をご存知だろうか。

 

 

 

 

おじさんと、おばさんである。

 

 

 

 

年齢層には結構幅があるのだが、もれなくおじさんとおばさん。だいぶおじさんもいるし、ややおじさんもいる。もちろんだいぶおばさんもいるし、ややおばさんもいる。

 

しかし、若いおねいさんなんは、いない。皆無だ。

 

これは誤算だった。

 

平日の昼間、いつものようにジムに行くと受付でおしゃべりしているおばさん集団、男性ロッカールームにはおじさんだらけ、ジムエリア手前にある休憩所ではまた別のおばさん集団が陣取っている、ジムエリアに入ると右も左もおじさんとおばさん、レッスンをやっているスタジオの中もおじさんとおばさんがすし詰め状態、運動を終えてお風呂に入るとそこには大量の裸のおじさん。

 

もしもベジータがこの状況を見たらこう言うだろう、

 

 

「まるでおじさんとおばさんのバーゲンセールだな。」

 

 

と。

 

 

私も33歳なので「自分は若いぞ!」と大手を振って言えなくなって久しいですが、あの空間にいたら私なんて若手も若手。この年で最若手じゃないかって日すらある。33歳で最若手なんて久しぶりだ。

 

こんなはずではなかった。おじさんとおばさんに囲まれて体を鍛えるなんて想像してなかった。加齢臭を超えた老齢臭がキツイ日だってある。そんなの入会する時に聞いてない。説明不足じゃないか。おい、責任者はどこだ。

 

 

そんな出会いもトキメキもない中、私はただただストイックに体を鍛え、闇雲に、やや捨て鉢な気持ちで健康を増進している。

 

黒髪のショートヘアがよく似合う、引き締まった健康的なボディーで、20代中盤素敵な女性を待ちながら。

社員旅行に行きたくなくて色々策を練ってみる

先日、上司が9月に社員旅行に行くことを発表した。

 

その瞬間から私は、

「どうしたら社員旅行をパス出来るか」

をずっと考えている。

 

行きたくない。私は社員旅行に行きたくないのだ。

 

会社の飲み会だって行きたくないのに、会社のバーベキューだって行きたくないのに、もはや会社にすら行きたくないのに。社員旅行だなんて。

 

私にとって社員旅行は「参加したくない会社の行事」のぶっちぎりで1位。2位以下に大差をつけての1位。2位に48ゲーム差ぐらいつけて1位、なんなら開幕した時から2位に17ゲーム差くらいついてる。

 

 

そもそも休みの日に会社の人と会うのがとても嫌だ。平日に毎日会ってるのに。休みの日くらい顔を見たくない。

 

数えてみると社員旅行に行った週は「12日間」連続で職場の人と顔を合わせないといけなくなる。約半月にも及ぶ長期間、毎日顔を合わせるなんて。私は、連続して12日間も、職場の人と会いたくない。地獄だ。

 

12日間も顔を合わせたい人なんてこの世に「吉岡里帆」と「吉高由里子」、「広瀬すず」、「小松菜奈」、「本田翼」、「波瑠」、「木村カエラ」、「北川景子」、今パッと思い出せるのはこれくらいだ。

 

ネットで、

「社員旅行  行きたくない」

と打ち込むとたくさん休む口実を掲載してるページが出てくるから面白い。

みんな社員旅行に行きたくないんだ。そう思うと心強い。同士はたくさんいる。私はひとりじゃない。

 

調べてみるとプランは色々とあるようで、みんなあの手この手を使って社員旅行を断ることに必死に知恵を絞っている。

 

代表的な断り文句としては、

「大切な友人の結婚式」

をデッチ上げるというのがあった。

社員旅行より前に決まっている結婚式より社員旅行を優先しろ、とはさすがに言われないだろうという作戦。確かにこれは使える。幸い友人はたくさんいる。選り取り見取りだ。誰を結婚させてやろうか。

 

しかし、我々の会社は平日休み。よって社員旅行の日程も平日。平日に結婚式を挙げる友人というのはいささか信憑性に欠ける。ダメだ、これは使えない。

 

 

他には

「家族との予定」

というのもあったが、残念ながら私は33歳、独身のため両親と弟夫婦と祖父母以外に家族がいない。

この布陣で、私だけ平日休みで、平日に開催される社員旅行を、上手に断る口実を、私は思いつかない。誰かに死んでもらう以外に思いつかない。さすがにそれはバレる、死んでいない人を死んだことにするのは難しい。

しかも毎年家族の不幸で社員旅行を欠席していたら、数年したら私は天涯孤独になってしまう。バレる、これもダメだ。

 

 

更に強硬策のような

「正直に行きたくない事を伝える」

というのもあった。変に嘘をつくと、その嘘がバレないように更に嘘を重ねて精神衛生上よくない、翌年以降も断るならこの際本当の事を打ち明けて断ろう、みたいな感じ。

確かに、それはごもっともだ。誰も嘘なんてつきたくない。

ただそれは上司が話のわかる人で、比較的進歩的な考えを持ってる場合じゃないと通用しない。

私の上司は身長180cmを超え、見た目はまるで戸愚呂弟のようで、声は低くデスボイス、毎日夜遅くまで仕事する事を奨励し、そして何より社員旅行を楽しみにしている。

そんな先進性は無くとも圧倒的な強さを誇る上司に社員旅行に行きたくないと正直に伝えるとどうなるか。

 

 

 

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こうなるか、

 

 

 

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こうなるだろう。

 

私はまだ死にたくない。やりたい事もたくさんある。ここで死ぬわけにはいかない。しかし現時点での私の実力では戸愚呂弟を倒すのは不可能だ。あっけなく力尽きるだろう。秒殺、いや、瞬殺だ。

 

しかし、私が戸愚呂弟を倒す道を選び、仕事そっちのけで玄海師範の下で修行を積み、仮に戸愚呂弟を倒せる程の強さを身につけることが出来たとしよう。恐らくその頃には、社員旅行は無事に終わり、私は会社での居場所を失っているだろう。サラリーがなくなるのも困る。生活が出来ない。それは困る。

 

 

まさに八方塞がり。

 

 

もう万策尽きた。私は社員旅行に参加するしかないのだ。悔しい、私はとても悔しい。

 

 

私は自分の意思を貫けなかった悔しさや悲しみを抱えたまま、

沖縄の綺麗な海で泣く泣くマリンアクティビティに興じ、

白い砂浜でパラソルの下、嫌々ピニャ・コラーダやマイタイを飲み、

苦し紛れに国際通りでショッピングをし、

夜は三線の演奏を聴きながら沖縄料理に渋々舌鼓を打ち、

不本意ながら夜の街に繰り出して、

沖縄美女とのパーリナイを余儀なくされるのであろう。

 

 

 

 

誠に遺憾である。